ショップでは、
茶室の復原図や間取り(図面)をプリントしたマグカップを販売しております。
(こちらは本日の記事にも登場する、利休の孫の宗旦がつくった一畳半「極小茶室」をプリントしたマグカップです↓)

台東区の浅草寺に現存する茶室、
「天祐庵」の解説を再編集してお送りします!
読み物として楽しんでいただけたら幸いです。
(上記写真の「極小茶室のマグカップ」へのリンクは最下部にあります↓)
「天祐庵(てんゆうあん)」

浅草の浅草寺(せんそうじ)の庭内に現存。
表千家不審庵を写して建てた平三畳台目(平:点前座を基準にして横に長い)の茶室。床柱・中柱はどちらも赤松。
名古屋の茶人・牧野作兵衛が天明年間(1781〜1789年)に不審庵を模して作ったのが最初で、大正5年(1916年)に向島の徳川邸内に移され「嬉森庵」と名を変えた。
さらに関東大震災直前に渋谷へ移築されて、徳川邸は焼失するも茶室は焼失せずに済んだため、高橋箒庵(たかはしそうあん・実業家で近代数寄者の一人)から「天祐庵」と命名された。屋根の妻側には箒庵筆の扁額があります。
その後、第二次世界大戦でも焼失せず、戦後に現在の地に移されたそうです。
本家の不審庵が明治39年(1906年)に焼失し再建されたので、写しの中では最古級。都内に残る古席として学術的価値も高い茶室となります。
都の有形文化財(建造物)に指定されています。
▼上記、宗旦の一畳半「極小茶室」をプリントしたマグカップです↓


