ラッパー ビギーの生い立ち (The Notorious B.I.G)ノトーリアスBIGの歴史と生涯

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ラッパー ビギーの生い立ち (The Notorious B.I.G)ノトーリアスBIGの歴史と生涯

編集日時: 2020/12/12 11:22

ヒップホップ画家のMoLです。


今回はビギー (The Notorious B.I.G)の生涯を簡単にまとめました。


最後まで読んでいただけたら嬉しいでーす!



 頭のいい賢い子


ビギーは1997年3月9日に24歳の若さで亡くなりますが、それまでの生い立ちについて、


作品を作る合間にしらべたので記事にしてみます。


1972年5月20日、ニューヨークのブルックリンでビギーは生まれました。


本名はクリストファー・ジョージ・レイトア・ウォレス。


学生時代の彼はとても成績優秀でした。


とくに英語が得意で、学校からたびたび表彰を受けていたそうです。


ビギーのリリックがストーリー性があって面白いのは、一種の文才ですよね。


ビギーは10歳の頃から肥満体型で体が大きく、その時からビックと言うニックネームで呼ばれていたそうです。


学校では成績優秀だったけど、12歳のときにはドラッグの密売をするようになっています。


早すぎるーー!12歳はせめてタバコ吹かすくらいでしょ。


彼のお母さんはそんなこととは、つゆ知らず賢くて出来のいい、体の大きな子と思っていたそうです。


後日談なんでホントかどうかは知りません。




 ギャングスタでハスラー


その後ビギーは地元ブルックリンのラップグループに所属して踏み(韻を踏む)始めます。


学校では勉強ができて、学校終わるとドラッグをさばきラップをするヤングハスラーです。


地頭が良かったビギーはラッパーとしても、ドラッグディーラーとしても地元ではかなり有名だったらしいです。


ビギーは17歳の時に高校を退学しますが、そこからどんどん犯罪に走るようになります。


退学したその年に武器の違法所持で5年の執行猶予判決を受け


次の年も、また同罪で逮捕されてます。このときは不起訴になったようですが、


そのさらに1年後の19歳の時に、クスリの密売の罪でとうとう実刑判決を受けてしまいます。


そして、9ヶ月間の服役を終え保釈された後、ビギー・スモールズという名義でラッパーとしての活動をはじめます。




BIGGIE(恥ずかしいけど始めて描いた油絵がビギー)



この名前の由来は当時やっていた「let's Do It Again」という映画の中に出てくるギャングのリーダーからとったらしい。


当時のビギーは将来的にラップで食べていこうとかは考えてなかったようですが


友人と録音したミックステープが、オールドスクールのラッパー、ビッグ・ダディ・ケインのDJを務めた


ミスター・シーのもとへ辿り着き、(ぼくのミスターシーのイメージはHOT97')


そこから彼のラップスタア誕生への道が開けます。



若いころのミスターシー (Mr.CEE)





 一気にスターダムへ


ビギーの才能を知ったミスター・シーは、ヒップホップ誌『The Source』の


編集者マティ・Cにテープを渡したし「ビギーを特集するべきだ」と勧めたそうです。


そして、マティがビギーに関する初めての記事を執筆。さらにマティは、音楽業界でめきめき頭角を現していた


アップタウン・レコードの若き副社長に、この有望な新人をチェックすべきだと提案します。

(ヤバい才能は一度注目されたら芋づる式ですねーーー)


その副社長こそが、後にビギーのボスであり、相棒となるショーン・パフィ・コムズ

(パフダディとかP・ディディと名乗ってアーティスト活動、プロデュース業の方が有名。因みに他にも名前いっぱいある)でした。



パフィー




「マティが彼に俺の曲を聴かせたところ、彼は気に入って俺と会いたがった。こうして俺たちは出会い


俺は彼にちょっとラップをやってみせた。そこから始まった。俺とパフは固い絆で結ばれてるんだ」


と95年にビギーは語っています。


ビギー は93年にそのアップタウンレコードと契約することになりますが、社長と喧嘩してやめてしまいます。


その後、パフィもアップタウンを去り、自身のレコードレーベル「バッド・ボーイ」を創設するのですが


その時にビギーは率先してバッドボーイと契約を結んでいます。


そしてビギーはバッド ボーイからファーストシングルの「PARTY&BULLSHIT」を


The notorious B.I.Gの名義リリースします。


 B.I.Gは「Business Instead of Games」の略で、「ゲームの代わりにビジネス」らしいです。


ビギースモールズという名前は、由来となった映画俳優に提訴されつかえなくなっていたらしい。

(使わせてればもっと有名な映画になってたかもね)


そして1994年の8月にビギーは「juicy」と「Unbelievable」を発表。


この頃からビギーはどんどんと勢いをつけていき、その1ヵ月後に


HIPHOP界のクラシック中のクラシック「Ready to die」(ファーストアルバム)をリリースします。


ニューヨークで発祥したヒップホップですが、94年当時の主流は西海岸でした。

(ウエストコーストの2pac,Snoop dog,NWAなど)



一番最近の作品





しかし、このビギーの1stアルバムを契機にもう一度、東海岸(イーストコースト)が人気を取り戻すことになります。


ちなみに「Ready to die」はアメリカNO.1のヒップホップ雑誌「The Source」で5本マイクを獲得してます。

(優れたHIPHOPのレコードをマイクの本数で評価するコーナーで、五本が最高です。ちなみに一年間で2,3組しか選ばれない)


1年後の95年には、同じBAD BOYレコードのリル・キム(ビギーの元カノ)とリル・シーズらと「Jrマフィア」を結成


しヒットを飛ばし、95年のアメリカのHIPHOP、POPS、R&Bの中から最も売れてる男性ソロアーティストに認められます。




またその年は「The Source」でアーティスト、パフォーマー、リリシスト、アルバムの4つの部門で


全てナンバーワンを獲得すると同時に、95年のビルボードのベストオブラップアーティストにも選ばれています。

(生きててほしかったね)


続いてマイケルジャクソンとのコラボも、この年にやるんだけど、マイケル(存命中に)がコラボしたラッパーはビギーだけ。


その後「Ready to die」に続くセカンドアルバムの制作に入るんだけど、この間ビギーは脅迫、コカイン、大麻とかで


逮捕されちゃって、なかなか制作が進まなかったらしいです。




僕の作品紹介動画




 死ぬときはあっけない


そして運命の97年3月9日。ロサンゼルスのパーティーに出席するんだけど、


そのパーティーの帰り車中に信号まちしてるところを、横付けされた車に4打たれ死亡しました。


亡くなってから数週間後にセカンドアルバムの「Life After Death」がリリースされますが、


ビルボードでナンバーワンになるだけではなく1997年から2000年までの3年間の間に10,000,000枚を売り上げます。


2Pacの事件と同様に犯人はわかってないし解決もしてません。








 最後に、、、


95年ころの僕はゴリゴリのロックンロールを聴いてたので、知らなかったこともたくさんあって楽しく書けました。


ビギーはフロー、ライム、ビートの乗り方が唯一無二なので、まだ聴いたことない方はぜひ聴いてみてください。


ビギー名義アルバムはトータルで5枚くらい出てるけど、オリジナルは先述の2枚だけです。


聴き始めるならセカンドがおすすめ、黒さとキャッチーさのバランスが最強です。


てか「Life After Death」を超えるアルバムは今のところこの世にないと思う。

(あくまでも個人的意見だけど)



※記事はいろんなサイトや記事を引用しながら、ぼくの個人的知識や意見と混ぜて構成させていただきました。




<ブログアートギャラリー>










記事を書いたのは、



MoL
Profile
福岡県久留米市生まれ。
1997年デザイン科の高校を中退。
2000年から東京でアンダーグラウンドな生活をおくる。
2019年、それまで6年間やっていた東京四谷の飲食店を、従業員の謀反、横領などにより廃業。
副業だった絵を仕事にしてみたいと思い、一念発起。
現在は久留米に戻りアート作品やオリジナルの洋服などを販売するネットショップを運営している。


MAIL:molmot555@gmail.com

LINE:molmot55

Instagram:@molmot_art



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